世界に一番近い日本の田舎
千葉県北東部に位置し、東京都の都心から60 – 70キロメートル圏内で東京駅より高速バスが定期運行しています。
西には成田国際空港に接している事から国内外への飛行機の利便性のほか、成田空港より関東各地に高速バスが運行しています。
多古町への交通アクセスについてはコチラをご覧ください。
度重なる奇跡が生んだ多古米物語
多古町では、縄文時代の遺跡が複数発見されています。
6〜7000年前、陸地に海水が入り込んでいた頃、多古町の低地のほとんどが海底にあり、今の台地はリアス式海岸を形成していました。
やがて弥生時代に入ると陸地の海水は引き、かつて海底だった場所はミネラル分豊富な土壌へと変わりました。
周囲の台地からは、山から雨や地下水によって栄養豊富な養分が現在の田んぼへ流れ込みました。
これらの度重なる奇跡によって、美味しいお米に適した土壌が作られ、「多古米」が収穫できるようになりました。
「多古米」は「全国自主流通米品評会」において食味日本一に輝く成績を挙げ、天皇陛下の献穀米にも選出されました。生産量の低さからも「幻の米」と称されています。
太古から続く土着の文化
多古町には遺跡や史跡が多く残っています。
太古の昔から人々が生活を営み、時には戦乱の舞台隣、永く城下町として栄えました。
農業が一層盛んになった近代
明治維新以後は全国で二番目に耕地整理事業を推進させたことで、農業は一層盛んになりました。
「多古米」で知られる米作りの礎となり、広大な畑地も開拓されてさつまいもややまと芋などの栽培も始まりました。
現代から変貌する未来へ
1978年に現在、多古町と隣接する成田国際空港が開港しました。
これまでの農業を中心とした地域に、新たな雇用が創出されました。
今後は、圏央道の整備や成田国際空港の更なる機能強化により、滑走路が新設整備されることを契機として、空港拡張範囲内である多古町は、大きく変貌を遂げる事が予想されます。