旧土橋山東禅寺墓地にある中世の北総の名家千葉宗家の7基の五輪塔。胤宣及びけん族(一族郎党)のものと言われています。 室町時代中期、胤直は鎌倉府の重鎮であったが、管領足利成氏と執事上杉氏の内紛に巻き込まれました。これが元で千葉氏は親類で争う骨肉の戦いを始めます。千葉氏の主将胤直は母の実家上杉派に組み、同族の原胤房・馬加康胤は成氏派に党し、一族立場を異にしました。 康正元年(1455)3月、胤直は胤房に千葉城を急襲されて落城、千田庄に逃れて胤直は志摩城(島)、子胤宣は多古城で再起を図りました。馬加康胤は胤房に加勢し、両軍の攻撃に多古、志摩城は防戦かなわず堕ちました。 8月13日胤宣は城の近くの阿弥陀堂で自刃し、15日胤直は東禅寺に走りここで一族郎党と自刃して果て、胤直は42歳胤宣は弱冠15歳の若武者であったといいます。
業多古町の生業
働き方が注目される昨今、様々な分野の「生業」を通して多古町をご紹介します。